「パソコンの誕生」
■ダイナブック
パソコンの誕生は、1972年、Xerox社パロアルト研究所のアラン・ケイによって提唱された理想のパーソナルコンピューターを実現する「ダイナブック(Dynabook)」構想に始まります。片手で持てるような小型のコンピューターで、単独で使えて低価格なものであること。だれでも簡単にプログラムが組めて、他の「ダイナブック」に接続してデータのやり取りをしたり、データベースから情報を手に入れるなど、個人が利用できるコンピューターとして、また子どもの学習のためのコンピューターとして、初めてその構想が揚げられました。また、ダイナブックは文字の他に映像・音声を持つ「本(book)」のような存在であり、それを扱った人間の思考能力を高める存在であるとしたのです。この「ダイナブック」というネーミングは、アラン・ケイの論文の「ダイナミックパーソナルメディア(動的個人媒体)」を使う「本」のようなものからきています。
■完成型パソコン
パソコンが完成された製品として登場したのは、1976年、アップルコンヒューター社が発売した8ビット機AppleUが最初といわれています。特に、AppleUは買った状態ですぐに使える完成品パソコンとして世界初だったため、全世界で100万台以上売れ当時としては驚異的なヒットを記録したのです。しかしAppleUは、研究機関や学校、個人では学者、研究者、あるいはマニアと呼ばれる人たちなど、特別な人たちにそれぞれ専門の分野で利用されたけにすぎず、だれでも使えるパーソナルコンピューターとは程遠いものでした。
■パーソナルコンピューター
大型コンピュータの分野で不動の地位を築いていた米IBM社は、最初のうちはパソコン市場に参入していませんでした。しかし、パソコン市場の急成長を見て、1981年ついに米IBM社はIBM/PCを発表、販売しました。それがIBM/PCです。フロッピーディスク装置を装備し、ビジネスで使うという明確なコンセプトの元で作られたパソコンです。IBM/PCの登場によって、ようやくパソコンは現在のようにあらゆる分野で利用できる道具になったといえます。このとき、IBM/PCのためのOS開発をIBMはマイクロソフト社に依頼しました。これをきっかけに、マイクロソフトはシアトル・コンピュータ・プロダクツ社が開発したソフトウェアの権利を買い取り、修正をほどこしたのち、MS-DOSを完成させたのです。
■日本でのパソコン普及
日本ではIBM/PCが販売された2年後に、日本IBM社が日本語対応パソコン5550シリーズを発売しましたが、ホストにIBM社の大型コンピュータを導入している企業が中心で、個人での利用はほとんどありませんでした。日本ではNEC製パソコンが主流で、1979年NEC社はPC-8001を発売。その2年後の、1981年にはビジネス用としてPC-8801が登場。そして名実ともに個人が利用できるコンピューターとして広まったのは、1982年NEC社のPC-9801ぐらいからです。PC-9801を初めとするPC-9800シリーズは、1990年代前半まで日本のパソコン市場において独占的シェアを保ちつづけました。
■ファミリーコンピューター
ちょっと話はズレて余談ですが、1982にパソコンが広まった後、1983年には一般家庭で遊べるコンピューターゲーム機が本格的に普及しました。それは、任天堂から発売された「ファミリーコンピューター」です。略して「ファミコン」。今の若年層は、「ファミコン」が正式名称と思っている人もいるぐらい有名なゲーム機です。米国では「Nintendo Entertainment System」(NES)の名前で発売されました。個人が簡単に利用(遊べる)できるコンピューターとして普及した「ファミコン」も、パソコンと同じ構想の元作られたコンピューターのように思えます。
■ウィンドウズのOS標準
今ではとても有名なMicrosoft社が開発したOS、ウィンドウズ。最初のウィンドウズは、1983年に発表されたWindows1.0です。しかし、ウィンドウズが普及し始めたのはWindows3.0以降からでした。1990年にWindows3.0が、続いて1993年にWindows3.1が発売されました。そして、1995年に発売されたWindows95が世界的な大ヒットとなったため、ウィンドウズはパソコンのOS標準となったのです。現在は、テレビや電話と同じように各家庭へ浸透し、大人・子供問わずだれもが手軽に簡単に使えるパソコンとして発展していったのです。
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2020/10/28 更新